地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

理想から距離を取る

私は私が嫌い。「理想の私」ではないからだ。


事あるごとに私は「理想の私」からかけ離れる。一歩ずつ近づこうとしてもだめだ。一念発起した一時間後にはもう失敗している。私は「理想の私」にまったく近づけなかった。


一時的にはそれに近い状態になれる。しかし、短時間のうちにバテて、疲れてしまう。疲れると何が起こるか。身体の不調、精神の不調。周囲に誰かがいるときなんて最悪だ。急にむすっと不機嫌になり、言葉遣いもいつもより荒くなる。ひどいことを口にしてしまうこともある。大抵後で落ち着いてから後悔する。


「理想の私」を保てない私は嫌いだ。


ちなみに上に書いた理想とは主に立居振る舞いのことである。ここに外見など追加したら大変だ。当時の私は女の子になりたかった。ふわふわのかわいい女の子になりたかったのだ。見た目も中身も。


なりたかった。そうだ。上に書いたのは過去の話だ。


今の私は少しずつ変わってきている。そもそも当時の私はなぜこんなに自分のことを好きになれないのかわからなかった。周囲のひとに褒めてもらえなければ私はもう本当にどうにもならないのだとしか思えなかった。いや、というのは嘘で、実際そうなってもなんやかんや言い訳をしながらしぶとく立ち上がっていた気はするし自信もあるが、とにかく気持ちとしてはそんな感じだった。


要するに、「理想の私」は私が目指すべき存在で、これになれないのなら私はいつまでもずっとずっとだめな存在なのだ、と考えていた。あのときはあまりにも自分にとって当然のことすぎて言葉にできていなかったけど。


気づいたのである。私が私のことを好きじゃないのは、おそらく私が「理想の私」ではないからだということ。そして、私は「理想の私」になるのに向いていないこと。


体力を激しく消耗しないと「理想の私」に近づけない。現状、私はあまり体力がない。一回の消費量を抑えるか、体力バカになるしかない。


しかしそれは無理そうだった。過去の私ならば「もっとがんばればできるはずだ」と信じていただろうが、今の私には信じられない。がんばってもまた次なる「理想の私」が待ち構えているだけだ。レベル1の「理想の私」をクリアしたらレベル2が出てくるのである。最大レベルはない。無限大だ。たぶん。到達したことないからわからないけど。


そもそも「一回の消費量」とか言ってる時点でもうそれクリアできそうにないじゃないか。クリアしたら常にその動きができるはずだから、もはや消費体力など関係ないはずなのだ。たぶん。


最近、といってもここ数週間といったところだが、私は「理想の私」から少しずつ離れて、なるべく体力を消耗しすぎないで過ごす方法を模索している。


たとえば、あんまりテンションを上げすぎない、もしくは疲れそうな予兆を感じ取ったらちょっと立ち止まる、とか。うれしいとどうしてもテンションが上がってはしゃいでしまうが、どうも私にはこれを保つのがかなり難しいらしい。途中何かのタイミングでバテてきたことには気づくものの、でも最初にはしゃいじゃったのに途中で冷めてしまうのも……と延々とはしゃぎ続けてしまう。当然ガタがくる。不機嫌になったり、勢い余って失礼なことを口走ったり、まあいろいろである。とにかく他人に迷惑をかけてしまう。それならまだ途中で冷めた方がマシだろう。冷めると言っているが、MAXはしゃぎよりははしゃぎ度を下げるくらいなものだ。まあ、それくらいはいいだろう。まあ、疲れていなくても時には他人に迷惑はかけてしまうわけだが……うん……


とにかく、少しずつ自分を受け入れていこうと思っている。疲れにくいときの自分はどんな自分なのかを把握して、何かあったらそこに戻れるようにしていこうと思う。その「疲れにくいときの自分」すらレベル1やレベル2がありそうな予感がするが、少なくとも「理想の私」よりはまだ達成に現実味があるのではないだろうか。


単純に調子がいいだけなのかもしれない。そのうちまた調子が悪くなるのだろう。そういうものだ。そのときはきっとまた「理想の私」に想いを馳せて、自分よりそれに近そうなひとを見ては羨み、そうなれない自分を恨むのだろう。断ち切りたいものだ。


読みにくいなと思ったので理想の私にカッコをつけたけど、これはこれで妙に強調し続けていてなんだか気味が悪い。まあいいか。読みやすさは多少は増しただろう。たぶん。


そもそもこれ自体明日には考えが変わっているかもしれないのだ。「疲れにくい自分」が何なのかもいまいちよくわからないし。いわゆる「素」ってやつなんだとは思うが、でも「素のあなたはそうなんだね」みたいなことを言われるとそれはそれで違和感がある。素も何も、はしゃいでいる私だって私である。別に「素」とやらを隠しているわけではない。でも、相手が断絶を感じてしまうのもきっと事実だから、はっきり否定もできない気がする。


まだうまく言葉にできている気はしない。でも軽く読み返してもあまり違和感はないから、今はきっとこれで十分なのだろう。


「理想の私」を追い求め、「今のこの私」を否定するよりかは、「今のこの私」を受け入れることの方が気楽なのではないか。少なくとも自分には合っている気がする。


しかし「理想の私」を追い求めること自体は何も悪くないはずだ。何か目標ができたら大抵は「それを達成した私」を夢見るはずだ。そして、そこに向かうのは決して悪ではないし、ばかなことでもない。でもそれができるのは明確な終わりがあるときだけな気がする。たとえば試験とか。明確な終わりがないのは、なんだか、少なくとも自分にはあまり向いていない気がする。


とか言って、「疲れにくい私」とか言っている時点で、結局新たな終わりなき目標を掲げているような気もする。あー、今日も何もならなかった。


では。