地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

書店で本を買った

本を書店に買いに行った。

本は基本的に通販で買っているのだが、いかんせん発売日が今日で、しかもちょうど読む本のストックが尽きていたので、書店に行くことになった。あらかじめ通販サイトで予約しておけという話なのだが、気がついたら予約期間が終わっていたので仕方がない。

書店に行って在庫確認マシンを操作すると、9999番の本棚にあるらしいことがわかった。そんな棚があるのかと回ってみるも、それらしき番号の棚はない。

そういえば在庫確認マシンが店員に確認しろと言っていた気がする。ちょうど誰も会計していなかったので、レジにいる店員さんに「ほしい本が9999番の棚にあるらしいんですけど、どこにありますか」と尋ねた。店員さんが困った顔をした。いわく、それは未登録の本。おもえば、9999なんて番号、本棚番号の範囲が"0000"〜"9999"だとするならほぼ確実に仮登録用のものだ。思い至らなかった自分に唖然とした。どこにありますか、じゃあないよ。

レジの店員さんはレジから離れられないので、応援の店員さんが呼ばれた。タイトルを訊かれたので、「薔薇の……」と言った。最後までは言わなかった。なぜ言わなかったのか。わからない。我ながらはた迷惑な客である。しかし、店員さんは「ああ!」と一瞬で心得たふうに歩きだし、通路脇に置かれていたワゴン前で立ち止まり、ワゴンからまさにその本を取り出した。しかも上下巻とは言っていなかったのにしっかり上下巻ともに渡してくれた。あまりにもプロ。尊敬の念を抱きながらわたしは店員さんに感謝した。曖昧検索から見事一発で対象を探しだしてくれた。すごい。最初からタイトルをフルネームで伝えろという話なのだが、店員に確認しろという文言を見ていたにもかかわらず、まず最初に店内を回ることを選択しているあたりで察してほしい。

そうしていま手元には読みたかった本がある。薔薇の名前、完全版。たしか前のバージョンのものを、学校の図書館から上巻だけ借りて読んだ記憶がある。下巻は読んだ記憶がない。なぜ読まなかったのか不思議だ。力尽きたのかもしれない。もはや何年前のことかもわからない。当然ながら中身は覚えていない。

読むぞ。1ページだけでも。

自作の紙の本ができた

ふと思い立って、印刷所に自作の漫画を送りつけて紙の本にしてもらった。

正確な日数はまるで覚えていないがおそらくおよそ1ヶ月をかけて漫画を錬成した。まず25ページの漫画プラス奥付1 ページ。どうもページ数は4の倍数でないといけないらしいということからおまけを2ページ追加。あと表紙。以上合計28ページプラス表紙の入稿データを抱えて印刷所に発注した。

一応言っておくと私はこれまでろくに漫画を描いたことがない。1ページのブツなら描いたことが、大昔に? あった? カナ? 程度だ。どうしていきなり20ページ超の漫画を描き始めたんですかね。よく走りきったな。ゲーム制作は何度も頓挫しているというのに。これが勢いの力。オオ、勢い。

今思うと漫画ではなく、なんかこう、ザッと五七五七七でなんか日々のぼやきみたいなのを20個くらい綴って1ページごとに1つずつ真ん中にドデカフォントでデカデカと並べればもっと手軽に終わったのでは? と思うのだが、なぜかあのときの私は漫画を描くことにした。なんでだよ。

ていうか普通にほしいですね、日常をむりくり詠みあげたブツをドデカフォントで1ページ1首の本。グレンラガンみたいな勢いのあるフォントでお願いしたい。つくるか? でもな今そんなやる気ないな気が向いたら書き溜めるか。

ふざけるな私はいまだ座している堂々誤作動トイレのセンサー とかどうですか? さっそく字余りしてしまった。もうだめだ。

そういうわけで、家にいる時間をほとんど漫画制作に費やし、ついに最後まで描きあげることに成功した私は、へとへとの身のまま印刷所に原稿データを送りつけた。気持ち的には投げつけたと表現するほうがしっくりくる。

待つことたしか2週間弱、いつの間にかポストに薄い本が入っていた。どうやらデータに不備はなかったらしい。

紙の本ってすごいんですね。紙に印刷されているというだけでクオリティが上がったように感じる。エイヤと送り出した原稿がすさまじく成長して帰ってきた気持ち。心なしか絵もきれいに見えてきた。私、絵うまかったのかもしれない。表紙も描き終えてからも入稿してからもひたすら気に食わなかったのになんだかいい感じに見えてきた。いったい自分は何をしているのだろうと描いている間ほとんどずっと苦しんでいたのに。

感極まりながら紙の本を読むと、トーンの貼り忘れとセリフの入れ忘れが1箇所ずつあることに気がついた。ま、最後のほうなんてヒィヒィ疲弊しながら進めていたので当然ともいえよう。私はあっさり開き直った。直す気も起きない。売るもんでもないしな。

探してみると意外にも1冊から受け付けてくれる印刷所は複数あったので、どこにお願いしようか迷うハメになった。てっきり50部とかからじゃないと無理なのかと。本を印刷所に印刷してもらうというのは意外にハードルが低いらしいことがわかった。

その他、急激に本について詳しくなった。まずオフセットとオンデマンドというのがあるのを知らなかったし、ページの数え方も、紙や加工方法に大量の種類があることも、すべてが新鮮だった。表紙の裏(表2と呼ぶらしい)って印刷できたんですね。

あれこれ調べたが、最終的に装丁はかなりあっさりしたものになった。フルカラー表紙に黒1色本文、ついでに遊び紙。これでよかったと思う。いきなり5,000円とか出してもね。私は怖気づいた。箔押しとかしたら箔の選定作業も増えるし用意すべきデータも増えそうだし。夢あるけど。いやもう夢しかないけど。かっけーよな箔押し。箔押しとか小口染めとか凝ったことしようとするとどうしても最小部数が嵩むので頒布前提でつくるのがいいんだろうが、そんな予定はないのでやるとしたら1冊だけ手元に残して残りを火にくべるしかなくなる。なんてことだ。

思えばずっと自分の本というものにうっすら憧れを抱いてきた。中学生の頃から憧れていたような気がする。今回の勢いのおかげでついにこの憧れが消化されたわけだ。めでたいことこの上ない。

本づくりハイとでも言えばいいのか、ほかに本にできそうな題材がないかと数日の間、考えたりした。遊びに行った記録をフルカラー本にしたりするのもたのしいかもしれない、等々。使ってみたい紙もたくさんある。世の中いろんな紙があるのだな。輝いていたりざらついていたり。

結局2冊目には手を出さなかった。しかし今後、なにかまとめたくなったときに「本にする」という選択肢が私の中に増えたことはたしかだ。

ちなみに写真を載せるつもりはない。中身も書かない。紙の本は届いたときに入っていたプチプチに再びくるまれて本棚のどこかに寝そべっている。

それでは。

蚕

高校生の頃の話。最近なぜかちょくちょく思い出すようになったから、書いて外に放りだそうと思う。

高校の何年生だったか忘れたが、生物の授業の一貫で蚕を飼うことになった。

蚕は小学生のときにも飼ったことがある。これも学校から渡された蚕だった。2リットルペットボトルの一側面に穴を開けて、そこから餌を入れて育てていた。何をあげていたんだろう。桑の葉をあげていた気がするが、どこで手に入れていたんだろう。学校からもらっていたのかもしれない。

頭を上下に振って、口元をもごもごとうごめかせながら葉っぱをまるくかじっていく様子は妙にかわいらしくて、よく眺めていた。足には吸盤がついているのか、手の上で歩かれるとぴたぴたとくっついては離れる感触があって、わりと好きだった。気がする。

時が経つと、当たり前だが最初は細かった蚕もどんどん肥え太っていって、やがて糸を吐き出してその中におさまった。ちなみに蜘蛛の巣があまり好きじゃないからか、糸を吐く姿に対してきれいだとかは特に感じなかった。繭は白かった。ころころしていた。

小学校のときは蚕を繭にすることが目標だった。繭になった蚕を学校に返して、おしまい。きっとあいつは布になった。

今回はちがった。繭ではなく卵を提出せよというミッションだった。つまり、繭の先を見届けられるということだ。

生徒は各自オスとメスを1匹ずつもらった。また蚕と暮らす日々が始まった。今度は2匹だ。ペットボトルではなく学校から渡されたシャーレで育てていたと思う。たぶん。彼らが最後はシャーレにいたことだけは覚えている。

そんなに一生懸命清潔にしなくても生きてくれる生きものなので、増えたところで手間ではなかった。音も鳴らさないし。においは多少あったかもしれないが、顔を近づけてわざわざ嗅がなければわからない程度だ。家に帰っては様子を見て、生きてるなあと思いながら餌をやって、おしまい。いや、わからない、もしかしたら親が掃除してくれていたのかもしれない。何も記憶がない。正直、餌をやった記憶もかなり曖昧だ。

運よく順調に育ってくれて、オスもメスも無事に繭になった。小学生のときはこれで終わりだったが、今回はここからさらに待たねばならない。こいつらには卵をつくってもらう必要がある。

オスが先に繭を突き破った。繭には派手な穴が空いた。事前知識として知ってはいたが、蚕は成虫になると何も食べない。羽はあるが、飛んだりしない。本当に何もしない。それをまざまざと見せつけられた。身じろぎひとつすることなく、ひたすらじっとしているのだ。生きているのか心配になるほど動かなかった。おそるおそる指でつつくと少しばたついた。生きているらしい。やりすぎるのもかわいそうだからあんまり触らなかったが、ちょっかいをかけることでしか生きていることが確認できないのはなんとも不気味だった。このままメスが出てくる前に死んでしまったらどうしよう、と若干不安になった。

数日後(1週間は経っていなかったと思う)、メスも無事に派手な穴を繭に空けて出てきた。こいつも動かない。

先生からの指示でオスとメスは分けて育てていた。だから、2匹が出会うには片方をもう片方に移動させる必要がある。お互いにこんなに無気力で、卵なんか産めるもんなのだろうか。半ば諦めながらダメ元でメスをオスのいるシャーレに移すことにした。メスはおとなしかった。オスもそうだが、ふにふにとした触り心地だったと思う。持つのが少し怖かった。

シャーレにメスが降り立つやいなや、オスがなんと動き出した。ジタバタと羽と脚を動かして一直線にメスに向かって移動して、そして2匹は合体した。私は絶句した。

隣にいた母が「命だねえ」とぼやいた。生命だねえ、だったかもしれない。記憶が曖昧だが、そういう感じの発言をしたのはたしかだ。たぶん。

もはや死んでいると言われたほうが納得できるくらい動かなかったのに、そんな、メスが近くに来た途端に動き出すことなんてあるのか。そんな。本当に生殖以外に何もやることがない生きものじゃないか。

メスの腹部が膨らんでは萎むのを繰り返していた、と思う。オスがどうだったかは覚えていない。オスからメスに何かを送り込んでいるらしいことだけはわかった。

翌日、2匹はまだくっついていた。

更に何日経ったか忘れたがが、ずっとくっついていた。今度は熱心すぎて逆に心配になってきた。蚕の交尾というのは数日掛かりでやるものなんだろうか。

痺れを切らしてオスとメスを離した。悪いことしちゃったかなあ、と思いながら眺めていると、メスがその場で卵を産み出した。しんと動かなくなったオスのいるシャーレの向こうでメスはせっせと卵を産んだ。10個はあったと思う。もっとあったかも。米粒よりも小さい卵がどんどん出てきた。あれでよかったんだろうか。思いきって1週間くらい放置していたらもっと大きな卵が出てきたりしたんだろうか。

やがて産卵は終わった。オスがまだ生きていたから、もう一度2匹を同じシャーレに入れた。また同じように合体した。しばらくして、もう一度離したけど、今度はメスは卵を産まなかった。そうこうしているうちに、2匹とも旅立った。体が黒ずんで、明らかにくたびれていった。そういえば、彼らは動かないときも体はしっかりしていた。つついたりなんかしなくても、それで判別できたのかもしれない。

私は卵を先生に渡した。持ち運んでいるときに圧をかけてしまったらしく、少しつぶれていた。あの卵の群れから次世代の蚕は1匹でも生まれたんだろうか。

これで蚕との思い出は終わりだ。それ以降、蚕を育てるどころか実物を見る機会すらもない。まさか蚕エピソードでここまで書けるとは思っていなかった。すぐ終わるだろうとてっきり。

そういえば、蚕を解剖する授業があった。中は緑色をしたペースト状のもので詰まっていた。消化されていく途中の桑の葉だったと思われる。拡大した顔面には毛が生えていた。知らないままでよかったかもと思った。かわいくなかった。

メスが近くに来たときのオスのばたつきよう。なかなか忘れられない。最後の力を全部使っているようだった。まさに一心不乱。一方のメスはオスが近くにいてもじっとしていた。こちらも産卵にそなえて体力を温存していたのかもしれない。

蚕。もうなかなか出会うこともないだろうが、インパクトのある生きものだった。成虫のあれはたして標準的な動きだったのだろうか。結局調べていないし、なぜか同級生にこれについてしゃべらなかった気がするから、何もわかっていない。これを書いている今この瞬間に調べる気も起きない。強烈な、鮮やかな生命だった。もうそれだけだ。

高校のときに読んだ小説を読み返した

伊藤計劃の『虐殺器官』を読んだ高校生の私はえらく感銘を受けた。『ハーモニー』も読んだのだけど、前者のほうが衝撃度合いが強かった。

以来、「好きな小説は?」と問われれば「虐殺器官」、「好きな小説がは?」と問われれば「伊藤計劃」と答えるようにしていた。中身をほとんど忘れ去ってからも。

それでいいのか? 全作品を読んだわけではない作家のことを好きだというのはべつにいいと思うが、中身を忘れた小説のタイトルを延々と「好きな小説」として使いまわしていいのか?

不安になってきた。

ということで、およそ8年ぶり(合ってるか?)に『虐殺器官』を再読した。

再読した感想。

「高校生の私はたしかに好きだっただろうな」

……いや、あの、もちろん今読んでもわくわくする話だったしおもしろかった。だが、文体がなんだかしっくりこない。なんかちがう。なんかこう……なんだろう……悩める若者感がつよいというか……いや、そりゃ主人公は実際悩める若者(30代だったような気もするが)だし、全然不思議ではないのだけど。なんだろう……今、西尾維新を読んでもたぶん同じ感覚を得るだろうなという感じがする。西尾維新も高校時代にわりかしはまっていた小説家だ。中学だったかもしれない。

一人称小説が苦手になったのか? そんなわけはない。今週、飛浩隆の『星窓 remixed version』を読んだばかりだが、それは好きだった。

私は飛浩隆作品が(最近は)好きらしい。『グラン・ヴァカンス』が美しすぎた。今読んでいる『自生の夢』に入っている作品からは今のところ『グラン・ヴァカンス』ほどの美しさへの衝撃はないんだけど、それでもやっぱり好きな文章だと思う。ところどころに『グラン・ヴァカンス』を彷彿とさせる要素がそれぞれの作品にあって、それもおもしろい。ひとりの小説家の作品を追うという行為にはこういう楽しみもあるのかもしれない。どっちが先に書かれたものなのか知らないけど。調べろ? はい……

ちなみに、これまたたぶん高校時代に読んだはずの夏目漱石の『夢十夜』も再読したところ、こちらについては変わらず「美」という感想を得た。安心した。次から好きな小説を問われたときは『夢十夜』とこたえるようにしようかな。

同じ本に『草枕』が入っていたからついでに読んだのだけど、こっちは最初こそ「これが芸術ってやつか」と感動していたのだが、だんだんそうでもない気がしていった。いちおう最後までは読めた。主人公が床屋で主人に頭をいいようにされる様子はかなり笑えた。いきなりギャグ小説が始まったのかと思った。あそこは好き。

夏目漱石の書いた長編があんまり好きじゃないのかもしれない。『吾輩は猫である』は途中で挫折した。『坊ちゃん』は最後まで読めた。でもおもしろかった気はするけどそこまで何かびっくりした記憶はない。『こころ』はきれいだと思うけど、教科書で読んだ記憶しかないから、全部を読んだらまた変わりそうだ。

もしかしたらあんまり再読はしないほうがいいのかもしれない。 今回、久しぶりに『虐殺器官』を読んで、正直ちょっとがっくりきてしまった。思い出が汚された気分だ。『夢十夜』は無事だったけど。

高校時代の私と今の私とは、当然の話だが、ちがう。ということはよくわかったので、まあ、よしとしよう。 でももう好きな小説に『虐殺器官』を挙げられなくなるのはちょっと寂しいかもしれない。

では。

うっかり舌を噛んだら痛すぎてしばらく飲料で空腹を凌ぐ羽目になった

舌を噛んだ。ごはんを食べていたらうっかり。なぜ噛んだのかよくわからないが、口の中にある味噌汁の具を噛もうとしたら勢いよく舌を噛んでいた。

結果、舌の上側の右側(右上の犬歯の方向)に軽いクレーターができた。舌も皮膚と同じ感じで皮(?)と中身(?)との2層になっているんだなあと思った。「舌を噛み切る」という表現をたまに見かけるが、あれだけ遠慮なく噛んでもたいしてえぐれなかったので、舌を噛み切るには相当な顎の力が必要なのだなと呑気に思った。いや、顎の力というよりは無意識の自制心を飛ばす必要があるのかもしれない。

これが先週の(たしか)土曜日の夜の話。その後は特に痛くなく、「舌にクレーターできたな」で終わっていた。

2日後の月曜の昼か夜らへん。そろそろ舌を噛んだことを忘れ出していた状態でいつも通りにごはんを食べようとしたところ、舌に激痛が走った。傷口がとんでもなく痛い。とりあえず口内炎パッチを貼りつけたが、何の意味もなかった。何かしらがそこに当たったらアウト。塩気の有無は関係ない。舌の右側にあるんだから左だけで噛めばなんとかなるやろと食事を続行したが無事に撃沈した。左だけで噛んでいても知らない間に食べものは右側に侵食しているし舌に当たっている。まあむりやり食べきったけど。なんか途中で麻痺してくるし。

困った。水を飲むときに傷口に水があたるだけでクソ痛い。しゃべろうとして舌が硬口蓋にくっついて離れるときも痛い。傷口の場所が場所なので 英語のエルの音みたいな歯茎にちょんと舌先を当てるような感じで動かせば実は回避できるが、そんな器用なことができたら苦労しない。ていうかもはやなにもしていなくても痛い。唾液がついても痛いし乾燥させても痛い(乾燥させたほうが気持ちマシではあった)。延々とツキツキツキツキしている。

これはもう咀嚼が必要な食べものはダメだと悟ったので、ゼリー飲料、ヨーグルト、ジュースなどを買った。こいつら思ったよりカロリー低いんですね。突然無理なダイエットを始めた気分になった。カロリーがたくさん取れそうな噛まなくていいやつというと私はアイスを思い浮かべるのだが、舌の傷に当てずにアイスを食べられる自信がなかったのでやめた。実際ヨーグルトで若干しんどかったのでたぶん無理。カロリーのある飲料って基本的に甘いんですね。塩がない。糖分過多を感じた。ストローのついたコーンスープを見つけたときは手を叩きそうになった。今思ったけど「一食置き換え」的な謳い文句の粉末のやつを買えばよかったのでは? 当時は思いつかなかった……

今こそ痛み止めを使うべきでは? とは何度も考えたが、そのたびに謎の楽観精神を発揮した私は「まあ寝て起きたらなんとかなるやろ」と痛み止めを飲まないまま過ごした。アホである。飲めよ。固形のごはんを食べられないと判断した時点で諦めろ。

職場でほぼしゃべる必要がなかったのもこの楽観思考を後押しする要因になった。出勤退勤と会議のときくらいしか声を発する必要がないので、たいして困らなかった。たくさんしゃべる仕事だったらさすがに迷うことなく痛み止めを飲んでいたと思う。

口内炎パッチを朝ごはん後と夜ごはん後の2回つけていたのだが(1日1〜2回と書いてあったので)、それが効いていたのか仕事中と寝るときはそこまで気にせずにいられた。朝起きた直後と仕事帰りくらいの時間帯は薬が切れるのか知らないが何もしなくても痛いモードに入って大変だった。帰り道は基本的に「いてえ〜」しか考えていなかった。

そんなこんなで木曜日がきたところで、なんと帰り道にあまり痛みを感じていないないことに気がついた。これは!!?? もしかして??!? とコンビニに寄ってあまり噛まなくてもなんとかなりそうなプチシュークリームの集まりを買っておそるおそる食べたところ、まあ痛いは痛いが許せる痛さだった。ちなみにシュークリームは皮が意外としっかりしていたのでそこそこ噛む必要があった。ロールケーキとかにするべきだったなと反省した。まあ食べられたからいいんですけど。

なぜ菓子にしたかというと塩を傷口につけるのが怖かったからです。体調不良とかでできる口内炎も塩をつけたらクソ痛いしな。口内炎ができているなかケチャップをつけたプライドポテトを食べて飛び跳ねたことを思い出す。ケチャップと口内炎の相性最悪じゃない? 塩単体よりダメな気がする。なんで?

ともかく私はおよそ3日ぶりに食べものを咀嚼した。咀嚼とはこんなにも達成感あふれる行為だったのか。冗談抜きで私は感動していた。

翌日はもうちょっと勇気を出してパンが柔らかそうなサンドイッチを買った。痛かったけどこれも食べられた。私は勝利を確信した。今はもう炊いた米を食べることに成功している。米は粒状だから傷口へのダメージが小麦粉をこねたものよりでかい気がしている。気のせいかもしれない。まあとにかく、クレーターはまだあるんだが(これ消えるのか?)痛みはもうほとんどない。ふつうに飲み食いができる。ふつうにしゃべれる。口内炎パッチももう貼ってない。私は乗り越えた。

ところで、食べものを咀嚼するときって、舌が口の中の食べものを歯に挟まれるはずのところに動かしてから噛んでるんですね。舌に傷をつくって初めて気がついた。たしかに、歯の位置は固定されているんだから、自由度の高い舌が運び込んでやらないとうまく噛めなさそうだ。思えば当然だが、なんだか新発見をした気分だ。

でももうこんなのは懲り懲りだ。次やったらちゃんと痛み止めを飲む。効果があるのか知らないけど。みんなも舌はなるべく噛まないようにしような。

自由研究2022(冬)

冬って言ってるけど今ってどっちかっていうと秋じゃない? となってきた。どうしよう。

今回は公開しました。おめでとう。クラッカー! クラッカー! クラッカー!

これでつくったものを説明する必要はなくなった。と思ったが、FizzBuzzって実は有名ではないのでは? という疑念に駆られたため、結局軽く紹介することになった。どうなんだ? こいつは有名なのか?

つくったもの

リズミックFizzBuzz | フリーゲーム投稿サイト unityroom

スマホで開くと残念なことになってウケました。対応させてもいいんだがそこまでやるか感もある。うーん……いいか。サボります。すまんな。

実は最後らへんまでタイトルは「FizzBuzz耐久」だったのだが、ゲームURLを決めるにあたり英語でなんと書けばいいか思いつかなかったのでこうなった。

どういうゲーム?

リズムにあわせてタイミングよくWASDキーを押してFizzBuzzを遊ぶゲーム。クリックでもいい。でもキー入力の方がやりやすいと思う。

この画像がすべてです。左がFizz、右がBuzz、上がFizzBuzz、下がそれ以外です。

リズミックFizzBuzz - プレイ画面

苦しみたいひと向けに上下左右のガイドがないモードがあるんですけど、ガイドありで手が意識が追いつくよりも先に動くようになってから挑戦することをおすすめします。

FizzBuzzとは?

1、2、3…と数字を数え上げていく。その時、3の倍数なら数字の代わりにFizz、5の倍数ならBuzz、3と5の公倍数すなわち15の倍数ならFizzBuzzと言う遊び。

ということで、うまくいくと1、2、Fizz、3、4、Buzz、Fizz、7、…という感じになる。

動機

  • 公開にこぎつけたい。

  • ストーリーもなにもないシンプルなゲームがつくりたい。

期間

自由研究2022(夏)が10/17投稿だから2か月弱

使ったもの

得たもの

  • プレイスキルが必要なゲームはつくってはならんという学び

いまだに自分が下手なのかゲームの実装がうまくいっていないのかちょっと自信がない。でも大体はできてると思う。ちなみに判定は前後9フレームを許容とし、秒あたり60フレームにしている。

  • prefabがいかに大事かということ

もうどんなに小さなものでもいいから一旦prefab化するべきである。あまりに違うやつになったら解体して新しくprefab化。これがあるかないかでその後の微調整のめんどくささが決まる。マジで。これ、前も言ってなかった?

  • リズムゲームってつくれるもんなんだなぁという謎の自信

  • 60/BPMで拍ごとのラップタイム(単位: 秒)が出せるんだなぁという感慨

  • 自由研究を持ち越さずに迎える新年(予定)

失ったもの

  • 企画当初のかわいらしい見た目

もともとFizzBuzzにあわせてキャラクターが動くのかわいいじゃん!? からスタートしたんですけど、お絵描きするのがめんどくさくなっちまってな。原案、かわいかったな……旗の上げ下げをする予定でした。誰か代わりにつくってくれ。

  • サムネをつくる気力

おしゃれなサムネをつくる気力などなかった。もう公開までこぎつけただけで大満足である。前回のも公開すればよかったって? あれはマジで黒歴史確定だったから嫌だ。

  • 次の自由研究へのやる気

満足しちまったからな。そのうちまた手を動かすだろう。まあ冬(要協議)終わったし夏までなんもせんでええやろ。ワハハ。

感想

  • アニメーションを入れると急にそれっぽくなってテンション上がるしハッピーになる。

  • デザインなんもわからん。ので、色は3色までで目立たせたいとこ以外は地味にするという基本ルールっぽいやつを信じて配置した。なんかそれっぽくなった気がするのでまあいいか。

  • 過去に音ゲーにハマっていた者ゆえ必然だが、ぶっちゃけゲームオーバーにならなければ無限に遊べる。まさに耐久。テストプレイで手が止まらなくて若干焦った。

  • 感覚的に拍を刻む音がちょっと遅れて聞こえたから(たしか)5フレーム早めに鳴らすようにしてみたけど、どうだろう。わからない。わからないことしかない。

  • ゲーム実行用のクラスがえらい長くなって大変なことになった。分けろよとは何度も思ったが、分けたらそれはそれでめんどくさくなりそうだったから分けなかった。500行弱コードの完成である。今回のスクリプト数は5です。前のノベルゲーなんて10近くあったのに。うろ覚えだがそれくらいの圧はあった。

  • 睡眠時間は意外と今回は削られなかった。嘘、最初はわりと削ったけど微調整段階に入ってからはどちらかというとモチベとの闘いだった。この記事もゲーム公開してから1週間経過している。通勤中に文字だけ打っていたがスクショはPCをつけないと貼れないから先延ばしにしていた。

さいごに

今回もCoroutineとの友好レベルをひたすら上げるイベントだった。とはいえ前回の試行錯誤があったのでわりかしスムーズに進んだと思う。

とにかく公開する気になれてよかった。満足した。スクワットしている人に飲み物を差し出すだけのゲームとかも考えてたんですけどどうしよう。そのうちつくるか? やる気が起きたらな。ていうか誰かつくってください。スクワットしている人を労ってください。

自由研究2022(夏)

夏の中盤ごろから急にやる気を出して始まった自由研究がついに終わった。というわけで、私の夏は今日をもって終了です。今日から秋です。よかった、年を越せそうだ。

さて、さっそくだがなにを書けばいいのかわからない。公開さえできてしまえば「完成品はこちらです →URL(ドヤ!)」でなにもかもを終えることができたのだが、残念ながら公開しないことになったから、ここでつらつらとなにか書かないと本当に日の目を見ないブツになってしまった。おお、かわいそうに……

自由研究を始めたときは最後に解説記事をつくるぞというつもりでいたが、冷静に考えて自由研究の解説記事とはなんだ。さすがに Unity のインストールから解説したくないし、書いたコードをすべて解説する気もない。とりあえずそれっぽい見出しを並べてそれっぽくしてみる。

  • 自由研究の概要と感想
    • 動機
    • 期間
    • できたもの
    • 使ったもの
    • 失ったもの
    • 得たもの
    • なぜ公開しないことにした?
    • やってみた感想
    • さいごに
  • おまけ(本題)
    • スクショ祭り
    • コード置き場

自由研究の概要と感想

動機
  • ノベルゲームをつくってみたい!

  • 自分の脳内から出てきたキャラクターたちがキャッキャとおしゃべりしているのを眺めたい!

期間
  • 8月初旬?~10/17

Unity プロジェクトの作成日が8/28だったから、たぶん8月初旬ごろにはなんかやるぞという気になっていたと思う。

できたもの
  • キャラ立ち絵なし

  • 謎のマップ切り替え機能と探索要素

WHY...

ちなみに一番最初は登場人物4人で舞台は遊園地だったのだが、これは完成する前に絶対に手が止まると確信したので、規模を縮めて登場人物2人で舞台も1部屋だけで済むようにした。おかげで完成(仮)まで漕ぎつけることができた。

使ったもの
  • Unity2021.3.8.f1

始めたときに一番新しい安定版がこれだった。今だと2022があるっぽい。なぜ Unity か? これしか知らなかったから。

なぜ VisualStudio にしなかった? VScode のほうがなじみがあったから。最初にちょっと設定すれば普通に使える。完璧に予測とか補完とかしてほしいなら VisualStudio になるのかもしれないが、別にそこまで求めていなかったので特に不満はなかった。Coroutine を使うときに yield がないぞと叱ってくれるだけで十分だ。

失ったもの
  • 睡眠時間(今日からはたくさん寝るぞ)

  • 黒歴史をつくる機会

  • ゲーム制作への恐怖心

得たもの
  • ノベルゲームどころか2D脱出ゲームくらいならつくれるな、という自信

  • まあそこそこ Unity 触れるな、という自信

  • 意外と2か月近くは続けることができるんだな、という自分への信頼

なぜ公開しないことにした?
  • 「あ、これはもうこれで終わりだ」と急にすとんと来た

  • 一応、遊べなくはない代物にはなっていると思うが、それはそうと公開する気になれなかった。正直昨日くらいまではせっかくここまでつくったのだから出来はどうであれ公開してもいいのでは? と迷っていた。

やってみた感想

実装については、ぶっちゃけ、ひたすら Coroutine とジリジリ仲良くなる日々だった。いかに Coroutine のことを理解し、うまく使いこなすかが終盤のほとんどを占めていた。物の表示非表示とかは SetActive() とか .enabled とかでなんとかなるしな。

当たり前だがやはり公式ドキュメントは最高。公式ドキュメントにすべてが書いてある。それでもうまいこと思いつかないときはブログ記事とか質問サイトとかを探す。この流れで大体なんでも解決する。

さいごに

実はちょっとこれならさくっとつくれるし(本当に?)つくった後に公開してもいいかな(本当に?)という案がひとつ浮かんでいる。マジでしょうもないやつ。つくりてえ。これを冬の自由研究にしてやろうか。いけるかな。年を越せなかったらどうしよう。

家に帰ればPCを開いてなにかしら作業をし、頻繁にやめ時を見失っては睡眠時間を削っていた。なかなか感動的なことだ。正直ちゃんと寝てほしかった。今日はこれさえ終わらせたらとっとと寝てくれという意味を込めて、全体のタスクリストとは別に「今日やることリスト」をつくっていたのだが、なんの役にも立たなかった。タスクが終わっても次のタスクに手を出して延々と作業をしそうになっていた。

しかも、私は毎日元気に出社している社会人だが、通勤で電車に揺られている間はひたすらゲームをどういじるかとか、昨日詰まった箇所はどうやったら実装できそうかとかそんなことをスマホでメモしていた。ざっくり言うと企画・ストーリー作成は通勤中に進め、家ではUnity実装にあてていた。

え? めちゃくちゃやる気に満ち溢れているじゃないか。びっくりした。誰だ、おまえ。

もちろん、さすがに四六時中自由研究にかかりっぱなしになっていたわけではない。ふつうに遊びに出かけるし、やりたくねえなあと思ったときは素直に動画を眺めたりしていた。最近は自由研究というつぶやく対象ができたからか twitter にもよく出入りするようになっていた。おかげで久しぶりにtwitterを眺める日々を得ている。懐かしい。TLのみんな、これからも健やかに元気でな。

おまけ(本題)

ここから先はスクショとなんとなく気に入っているコードの紹介をする。気になるひとはどうぞ。

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