地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

食べるという行為はめんどくさい

29/31。

昨日、筋トレをしたいと書いた。これはまったく嘘ではない。

しかし、筋トレはダイエット目的に行われることもままあり、そのときの謳い文句は「今より食べる量を減らさずに体重も減らしてスタイルアップ」みたいなのが多い。「食べる量を減らさず」は本当によく見る。みんなそんなに食べたいのだろうか。

満腹を幸福と捉えるひとが意外に多いらしいことに驚く。満腹は苦痛だとわたしは思う。苦しい。しかし吐く程度ではないから吐くこともできず、胃がずっと圧迫されているような感覚。自前の消化機能にがんばってもらうしかない。たくさん食べるとお通じもよくなるので悪いことばかりではないと思うが、それにしても苦痛だ。

では痩せるために少食になりましょう、というのもそれはそれでおかしいと感じる。最低限の体力は持っておかないと、突然少食にしても身体が貧弱になっていくだけだ。

運動して、必要な分だけの栄養を摂取するのがおそらく理想なのだと思う。運動はともかく、「必要な分だけ」というのは難しそうだ。まず必要な分というのがわからない。早いとこ勝手に数値化して勝手にごはんが出てくる世の中にならないものか。まあ、実現したら偏食家には厳しい世の中になってしまうけど。いや、そもそも料理をするのはわりに好きなので、すぐ来られても困るかもしれない。生まれてからずっとその環境にいるのならともかく、料理はしたい。

そういえばサピエンス全史で、狩猟採集社会では今の私たちよりもずっと栄養面でバランスがよかったし、身体つきもしっかりしていた可能性が高いと書いてあった。なぜならいろんなところでそのときの気候とかに合わせてそこらへんの植物を取ったり、動物を狩ったりしていたから、現代の偏食っぷりに比べればかなり豊かな食生活だと言えるそう。なるほどたしかに私たちにも一応食材のバリエーションはあるが、それでも歩き回ってさまざまな木の実を手にしているひとたちに比べればかなり貧相だろう。そもそもそこらへんのスーパーに置いてある野菜の種類なんてかなり限られている。意識しなければ自然と偏った食事になってしまう現代、私たちはバランスをうまく調整するしかないのかもしれない。

しかし現代にはサプリメントなるものがあるし、そこまで気にしなくていいのかもしれない。知らんけど。