地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

筋トレと読書って似てる気がするんだけど、なぜ筋トレは気楽で読書は悲しいんだろう(1)

筋トレや運動は意外に気が楽なことに気がついた。もちろん、家でひとりでやるときに限るが。

まず、やってるときはかなり無になれる。気がつくと終わってる。いや、やってるときに一応「しんどいなー」とか「ここ、もうちょっとこういう風に動かした方がいいのかな」とかは思っているけど、それ以外のこと、要するに筋トレや運動以外のことは頭からなくなっている。「あのタスクずっと先延ばしにしてるな…」とか「あの本、買ったけど全然読み進めてないな…」とか、そういうのが動いている最中は頭からきれいさっぱりなくなる。こりゃあいい。最高の現実逃避方法だ。身体に余裕がなくなると思考もそれ以外考えられなくなるらしい。

しかも、ライバルというか比較対象がいない。目を向ける対象は動画の向こうにいる、なんかすごくてもはや別世界のひとたちだけだ。彼らはすごい。おそらく何年もトレーニングや食事制限などに取り組んでいる。肉体も精神もまったくちがう。

彼らに対してうらやましさを抱くことはあんまりない。おれにそこまでの気力や根性がないことは既にわかっているからだ。おれは身体を仕上げるためにあんなに一生懸命にはできない。食事制限のために献立を考えたり買い物をしたりするのはめんどくさくて無理だ。ジムに通うのもやる気が起きない。金だけ払って行かなくなる未来しか見えない。

動画のコメント欄に「○ヶ月続けて○キロ痩せたよ」「ウエストが○センチ細くなったよ」といったコメントが寄せられていることがよくある。たしかにうらやましいが、体重が減る前・細くなる前の数値を書かずに減ったぶんだけ書かれても何もわからない。

理屈はよくわからないが、たとえば身長160cmで体重が55kgのひとと80kgのひとがいたら、80kgのひとの方が体重は減りやすい。55kgのひとにとっての1kgと、80kgのひとにとっての5kgはたぶん同じようなものなのである。数値、めっちゃ適当に書いちゃった。要するにもともとの数値を書かずに減っただのなんだの書いてるコメントは無視に値する。少なくとも自分と比べるものではない。続けてたらちゃんと減るんだな〜、くらい。

いや、別にそこまで痩せる目的のためにやってるわけじゃないけど。どっちかというと最初に書いた現実逃避の方がでかい。たしかに贅肉は大量にあるが、不健康なほどではないから、そんなに気にしなくていいのではないかと思っている。痩せる目的のためにやったら絶対に続かないと思う。痩せた自分が想像できないし、そもそも痩せたことを実感するために毎日メジャーでウエストを測ったり体重計に乗ったり自撮りをしたりするのがめんどくさい。

いやちがう、痩せてるかどうかってことについてのライバルじゃない。何を書いているんだ。やるメニューやら体力やらの話だ。

自分の体力や筋力と相談しながらやることになるから、最初は「初心者向け」という風に書かれたものをメインにやることになる。既に筋力があるのなら上級者向けみたいなしんどそうなトレーニングをやればいい。

たとえばプランクとか、あれって最初は膝を床につけてやった方が絶対にいい。たとえ膝をつけずに脚をまっすぐ伸ばしてやる方が負荷が大きくて効果が高いと言っても、自分のレベルが足りていない状態でやれば関節痛などを招きかねない。

要するに筋トレとか運動とかでは無理をしにくい。身体にあらかじめストッパーが用意されているらしいので、徹底的に身体を壊すほどまで動けること自体がそもそもほとんどない。(がんばればこの最初からついてるストッパーを取ることができるらしいけど、どう考えても危ないし、運動選手でもなけりゃそのままにしとくのがいいだろう。)

しかも、自分のレベルと他人のレベルを比べて落ち込むことがほぼない。いや、競争意識の高いひとはもしかしたら落ち込むのかもしれないが。自分ができる範囲がこれだけなのだから、このできる範囲で続けていけばいいのである。その日に高い負荷のメニューをいくらこなしたかより、どれだけ長い期間続けることができたかの方がものをいうのである。いくら簡単なメニューでも、自分にとって効いてる感じがあったら、自分にとってはそれで十分なわけだ。たとえばおれは本当に腹筋がないので、仰向けに丸まって揺れてるだけでもけっこうくるものがある。まさかこんなに他人を気にしないで済むものがあったとは。

まあこれは一人暮らしの特権な気はするが。口を出してくる同居人がいたらすぐさまやめていただろう。まあ、隠れてやるけど。

ところで、筋トレをやるようになって思ったのだが、なぜこの気楽さを読書や勉強やタスク消化なんかに活かせないんだろう。(この疑問が湧いたのがこれを書き始めた理由だ。おかしいな。さっきまで何を書いてたんだろう。)

筋トレと読書は似ているはずだ。どっちも自分の今の能力と相談して進めていく。そりゃあ読解力があれば最初から何かの分野の難しい本を読んでもなんとかなるだろうが、少なくともおれは読むときにリズミカルさがほしいので最初はその分野の入門書から入る必要がある。悲しいほど短気なのである。やる気が起きたときはじっくり読むしかない本をじっくり読むけど、そんなことは稀だ。日頃の社会人生活で疲れている身にそれはきつい。(これはたぶん言い訳。)あと、難しい本ってけっこう遠慮なく専門用語を使ってきたり(解説を入れてくれるにしてもかなりあっさりした解説)するので、やっぱり入門書を一冊は読んどくのがいいんじゃないかと思ってる。

今のでお察しだろうがおれは勉強や研究に向いてない。勉強というのは概して知識や手法とじっくり向き合うことだからだ。なんで学生のときはやれてたか?おれもわからない。やったらやったぶんだけちゃんと成果がでたからとかかな。筋トレと同じじゃん…いや、他にやることがなかったからかもしれない。勉強してたらそれだけで胸を張れたし。学生(少なくとも高校までは)はとりあえず勉強しとけばでかい顔ができる。いや、もう全然思い出せないけど…

だからほんとは数学とか気になってるんだけど結局全然わからないままだ。立ち止まるのが下手なのである。なんかこう、一週間ずっと数学だけやってろという部屋にぶちこまれたい。でもずっとはきついから1時間ごとに実況動画見させてほしいな。

「いけそう」感が大事な気はする。なんやかんや学校の勉強は段階的に進むようにうまく組まれていて、新しく見るものは前に見たことのあるものを念頭に置きながらながら理解していくことになるから、初見であろうとなんとなくいけそうな感じがする。今思うとカリキュラムってよくできてる。


さすがに長くなったので別の投稿にします。