地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

時間配分とモチベの調整が下手

30/31。

最近つくりたいものが明確に決まったのでまた頓挫する可能性も非常に高いがひとまず見た目を考えるところから始めた。実現できるか甚だ不安な画面だがなんとかやっていきたい。

 

わたしは欲張りな人間なので、本を読みたいしコードも書きたいし料理もしたいし買い物もしたいしツイッターも見たいし絵もかいてみたいしコーヒーも飲みたいしいろいろある。まったく時間が足りない。いや、足りないことはない。配分を間違えているのだ。わたしは昔から時間配分が異様に下手だった。いまだに改善できていない。下手でも早く終わらせることができるぶんにはよいので実際の試験ではそこまで困らないのだが、その試験に向けて勉強する段階においてこれは相当致命的だ。まず何かしら理由をつけてサボりだす。休日こそ!という意気込みは無意味なものである。結局何かしら他のことをしだして一日が終わる。

 

理想的なのは間違いなく「日課に組み込む」ことだ。習慣化というやつだ。しかしこれは本が出るくらい難易度が高い。21日続けられれば習慣化できたと判定できるらしいが、わたしのブログチャレンジを見てみろ。あまり説得力を感じられない。いや、これはだいぶ過去の記憶なので、今は新たな法則が生み出されているのかもしれない。興味がないので調べないが。そう、ここでサボるのである。すでに習慣化に対して意欲がない。これでは到底日課に組み込める予感がしない。

 

おそらく一番手軽なのは外に出ることだ。図書館でも自習室でもなんでもいいが、「ここに来たらこれをやる」と決めてしまうのだ。そしてそこに行くときはやることに必要なもの以外の道具は持っていかない。これはかなり効果がある。大抵自宅以外の場所を使うときは金銭も発生するのでその重圧感もある。

 

わたしはこんな自分が嫌だ。いつもいつも休んでばかり、ろくにやりたいことには取り組まない。一日の途中に「この時間になったのにまだ何もできていない」なんて自己嫌悪に入ることもしばしばだ。これはたぶん成果の基準を下げれば片付く話なのだけど、無駄に理想が高いせいでなかなかそうもいかない。外に出られただけでえらい!なんてなかなか自分には言えない。他人には言えるのに。

 

考えてみれば今日だって少しはやりたいことに取り組めているはずなのだ。少なくとも作りたいアプリの見た目は考えたし、それの実装のために何を使えばいいかも検索して大体目星はつけた。残念ながら今日はほぼ本を読んでいないが。何をしていたか?動画を見ていた。

 

時間配分が上手になったら、満足いくようになるのだろうか。満足がいくという自信がないからいつまで経ってもこうなのかもしれない。現状で満足できるように努力するべきか。