地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

‪「世界が遠い」と過去のわたしは言っていたが、あれはつまり「感覚を鈍くする」ということだった

7/31。

ふと悲しくなったので盛大に自分語りをします。そもそもブログというのは日記、つまりゆるやかに自分語りをするためのものな気もするのでこんな前置きはいらないのかもしれない。


主に大学生時代、ぼくは「世界が遠い」「世界を遠くする」という表現を頻繁に使っていた。どういった内容のものかというと、ぼんやりとした説明になってしまって申し訳ないが、「思考がぼんやりして動く気にならない」感覚だった。要するに「虚無感」をかっこよく言い換えたものだった。


今になって考えると、あれは「感覚を鈍くする」、つまり様々な刺激に対しできる限り反応を薄くする試みだった。


仕事を始めて、最初は大丈夫だったけど次第にストレスが鈍さを突き破ってしまい、今では鈍さなんてなくなってしまった。ぼくはただのお子ちゃまになった。すぐにイライラして、感じたことはなんでも口に出しそうになるし、すぐしょぼくれるし、目立ちたがるし、偏見にまみれているし、自分は優れていると思いたがるし、最悪だ。これが嫌だった。ぼくは自分を押しこめたかった。でもちがう性質を持ったひとにはなれなかった。押し込めて、何もないひとになることしかできなかった。


でも、押しこめると今度は何もできなくなった。そもそもまともに何かに興味を持つことができなくなった。本なんて当然読めないし、何かに挑戦しようなんて気も起きなかった。嫌なところを押しこめると、伸ばしたかったところも縮こまってしまうらしい。


今、こうやって退職宣言をして転職活動もして、本も読めるようになってきてプログラミングにも挑戦できるようになったというのは、自分を鈍くすることができなくなったからだと思う。うまく鈍くなれたままだったらこんなことにはなっていなかった。そう考えると、実は大学の終わり頃から限界は始まっていたのかもしれない。卒論にはそこまで追い込まれた記憶はないし、おそらく就活が原因だと思う。あれは本当にきつかった。


いや、そもそも、世界を完全に遠くすることはできていなかったけれど。相変わらず虫は怖かったし、ひとの苦手な性質はあったし、ホラー映像も怖かった。結局、完璧ではなかった。不完全で、厨二病の夢でしかなかった。


大学が特殊な環境だったのだと思う。無理に動かなくても、止まっていてもいい環境。実際働いてみるとそんなものは休日でしか体験できない。もう、世界が遠いと嘆くあの状態に戻ることは厳しいのかもしれない。


でもそれはマイナスなことではないと思う。嫌な自分が復活してしまうことは当然嫌だが、伸ばしたい自分もある。なんとか向き合っていかないと先に進めないような気がする。その先に明るい未来が待っている、なんて断言はできやしないけど。


今、世界がとても近く感じる。いろいろな刺激に素直に反応している。どこまでも子供。言葉で武装することでしか大人になれない。些細なことに反応して、怒りだしたり泣きだしたりと忙しない。


まあ、これはあくまで今の気分なので、耐えられなくなったらまた積極的に鈍くなろうとするかもしれない。そうしたらまたからっぽになる。どっちがいいんだろう。とりあえず今は子供の自分を受け入れたい。その有様は本当にひどいものだし、できれば見たくもないけど、衝動はここからしか出てこない気がする。衝動に突き動かされているときは楽しいと感じる。生きている心地がする。なら、なんとかやっていくしかないんだろう。