地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

自分の顔への認識について書こうとしたけど何もまとまらなかった記事

皆さん、自分の顔は好きですか。私は微妙です。

数年前までははっきり嫌いと言えたのですが、最近は自分の顔への自己評価が上がったらしく、微妙になりました。好きではないです。


インスタなどを見ていると、自分の顔に自信を持っていそうなひとが大量に出てくるのですが、なぜか私のまわりにはあまりそういったひとがいませんでした。みんなそれぞれ自分の顔に何かしらのコンプレックスを抱いています。私から見ればじゅうぶんにかわいいのに、彼/彼女たちは自分の顔を好きではないようでした。正直、そんなに顔が整っているのにそんなことを言うのはただのパフォーマンスなんじゃないか、つまり敵をつくらないために言っているだけで、実際は自分の顔が大好きなんじゃないか、自分の顔を平均以上と思っているんじゃないか、などと僻んだこともたくさんあります。顔がいいひとには「自分は顔がいい」と断言してほしい、という勝手な気持ちがありました。そのほうが楽だったからです。顔がいい=自信があるという式を持ちたかったのでしょう。ただ、最近はそういった妬み嫉みはなくなりつつあります。うれしいことです。


まず、私が過去最高に自分の顔を気持ち悪いなと感じたのは大学時代です。ある意味自我が芽生えたと言いましょうか、それまでは漠然と「自分の顔は平均以下だが最下層というほどではない」というくらいの感覚しか抱いていませんでした。しかし、大学生になって初めて洋服にまともに興味を持ち始めたときに悲劇が起こりました。何を着ても合っていると思えないのです。そしてあの頃は化粧っ気もないのに(化粧っ気は今もありませんが)顔が丸くて目が大きくて鼻があまり高くない顔に似合うような服、つまり「かわいい女の子が着ていそうな服(要するにふりふりのレースやリボンが付いていたりする服です)」に憧れを持っていました。今までろくに洋服に興味を持っていなかったから、少女漫画とかに出てくるキャラの服が頭にこびりついていたんですね。今なら、ひとにはそれぞれの顔立ちがあり、似合う服のジャンルが異なるということがわかるのですが、あの頃はまだそういう考えに至っていませんでした。かわいい=かわいい服が似合う、という考え方でした。そのうち、「ブサイクがメイクしたらこんなにかわいくなる」という趣旨の動画をいくつか見るようになり、なるほどこうすればいいのかと勉強したりしました。しかし、朝にそんなに時間をかけたくなるほどには極めようという気になれませんでした。何より、彼らって素顔のときに眉毛が薄いとかひとえだとか(個人的にはひとえをわざわざふたえにする必要性はあまりないと思っていますが、ここにコンプレックスを抱えるひとは多いようです。)そういうのは置いておいて、鼻筋がしっかり通ってるんですよね。それに輪郭(骨格と呼ぶのでしょうか)がきれいです。要するに顔の立体的なパーツについては整っているんです。眉毛は書けばいいし、目はいくらでも調整できます。でも鼻筋は正直どうしようもないです。輪郭も影をつければ調整できるとは言いますが限度があります。メイクはお絵かきでしかないのです。キャンバスの形に依存するのです。あれらの動画を見てから、ひとの顔を注視するときは鼻と輪郭に注目するようになりました。まあ輪郭については髪型でなんとかできたりするので、実はそんなに注目しなくてもいいところなのかもしれませんが、できる髪型がかなり限られることはまちがいありません。


自分の顔に対して、最近では、それなりにかわいく見えるときと、あ〜〜ぶっさ!!!世間にお出しできない顔面!!オロロロロ(嘔吐)と感じるときの2パターンがあります。適度に自分のことを卑下して、たまに自分の顔はいいということを主張するひとは、おそらくこういう状況なのではないでしょうか。いやまあ自分の顔に確固たる自信はあるけど自分で自分の顔がいいと言うと角が立つからわざと卑下するというひともいるのかもしれませんが、面倒なので一旦前者のとらえかたで統一します。


おそらく、ひとが自分の顔を正確に把握できるのは物心がつく前に鏡で見たときだけだと思います。今となっては過去のいろいろな経験が混ざってしまい、客観的に見るということができなくなっているのだと思います。「あの子はあんまりかっこよく/かわいくないのに自分のことをかっこいい/かわいいと思ってる」なんていう陰口を聞いてきたりしたら、ろくに素直な感想を吐けないようになり、そのまま気がついたら自分の感じ方についてもそんな環境に影響を受けていたというのもあるかもしれません。ちなみに私は幼稚園くらいのときは自分の顔について特に何も感じていなかったように思います。似合っているかなんて一切考えず、憧れの魔法少女のステッキを持って、よくわからない半透明の生地のついたふりふりの服(シフォン生地と呼ぶんでしたっけ)を着たりして、はしゃいでいました。子供時代ってすごいですよね、大人にとって迷惑でさえなければ何をしても褒められますからね。いやほんとすごい。魔法少女になったつもりでステッキ振り回したりくるくる回ってたりしてましたね。思い出すと恥ずかしい。


そういえば自分の顔って気持ち悪いなと思うほど鏡を見ちゃったりしませんか?私は見ます。なぜ見てしまうんだろう、本当は自分の顔が大好きなんだろうかと過去は不安になったりしたものですが、あれはおそらく自分の顔を再確認しようとしているのです。あー今日も気持ち悪いなって。たぶん自分の顔が好きなひとはあー今日も調子いいなみたいな感じになるんだと想像します。逆バージョンですね。


そろそろ何を書けばいいのかわからなくなってきたので締めるのですが、とりあえず、最近は「メイクをする気にさえなればいくらでも調整できるし、まあなんでもいいか」という気持ちで自分の顔面に接しています。顔面に接するってなんだよって感じですが、接しているんです。おまえもメイクすりゃいざというときはなんとかなるやろ!みたいなノリです。


しかし基本的にメイクする気がおきません。メイク技術に憧れてメイク動画を漁りまくった時期もあったのですが、まずアイテムを揃えようという気になれませんでした。使うかもわからないものが家に溢れかえるのがきついんですね。完全に改善する気がないのに一方的に文句を喚き立てるだけのクレーマーです。自分の好みの顔になるべく、メイクやファッションの研究をしてきたひとたちに対して妬んだりひがんだりした時期もありました。その節は本当に申し訳ありませんでした。読んでるかわからないけど。まあしかし私にも多少の言い分はあって、育った家庭にそもそもメイク道具がほぼなかったのです。BBクリームと口紅があったくらいでした。それでも母親は美人とまではいきませんがそれなりに顔が整っているほう(だと私は思っています)なので、芸能人はともかく、大体のひとはみんなそれくらいの化粧しかしていないのだとずっと信じていました。大学でメイクのやり方を友達から聞いたときはびっくりしました。メイク禁止だけどバレないようなメイクをして登校していたというひとの動画もあったりして、一時期ひとの顔面を信じられなくなりかけたこともあります。それに、私は子供の頃はアトピーとまではいきませんがそれなりに皮膚が弱く、化粧品で肌が荒れることを親が心配してあまりそういった類のものを私に付けようとしなかったのも大きいと思います。ワセリンとザーネクリームしか知りませんでした。青とか赤とかの色を使っているならともかく、いわゆる自然な感じの化粧についてはまったく気づけなかった人間が、目の前のひとがベース以外に化粧しているのかどうかをなんとなく見分けられるようになったのはかなりの進歩だと自負します。ベースについては全然わかりません。まあこんな感じなので自分へのメイクは当然うまくできません。練習も研究もしてないので当たり前です。最近はもう眉毛を剃ることと色の付いた日焼け止めを塗るくらいしかしていません。どうせ汗で崩れますしやる気が起きない。眉毛もよくわからないまま剃っているので日に日に細くなっているような気がします。なくなったら考えます。


今これは私が自分の顔面に対して「まあまあ耐えてるんじゃね」という感じ方をする時期だから書けています。「ぶっさ、まじ無理」となっているときは書けないでしょう。


まあつまり、「いざというときは化粧すりゃなんとかなるわ」精神を持つのがいいのではないかという話です。ひとつの解決策です。化粧する気が起きないなんて私は自分の顔を嫌いだと言いたいだけじゃないか、かわいくなりたいくせにかわいくなろうとする努力をしないなんて最低だと思うかもしれませんが、開き直りましょう。そもそもメイクとは、慣れない内は特に集中力のいる作業で大変疲れるものです。ちなみに私はこうやって開き直るのに正確な期間はわかりませんが少なくとも2年はかかっている気がするので、今まさに苦しんでいるひとは気長に開き直れる瞬間を待ちましょう。


あとは「自分の顔立ちに似合う服のジャンルを把握する」でしょうか。ざっくりしすぎる区分けをすると幼い顔立ちのひとはカジュアルっぽいのが似合って大人っぽい顔立ちのひとは上品な感じのが似合います。「似合わん服着てるわけじゃないし皆の者は口を出すでない」って感じですね。「他人の目を気にせず自分の好きな服を着ればいい」という格言じみた文をよく見ますが、あれは他人の目を気にしないで生きていける強者の発言なので基本的に従おうとしなくていいんじゃないかと思います。気になるもんは気になるんですよ。しかし友人からの「これ似合うんじゃない?」は信じて試してみていいと思います。友人が言う以上、少なくとも他人から見て違和感があるわけではないはずです。これは服に限らずメイクのやり方とかもそうだと思います。結局メイクしたところで元々の認識がおかしいので、メイクした結果が本当に自分の想定通りになっているかなんかわかりません。自分の見ているキャンバスと他人の見ているキャンバスがちがったらそりゃズレます。たぶん色彩感覚レベルでズレてるんじゃないかと思います。


収集つかなくなってきたので終わりにします。まあ、徐々に開き直っていきましょう。何を気楽なことを、このサバイバーめ、みたいに感じるひともきっといると思います。それはそれでいいです。とてもよくわかるので。とりあえず、服屋の店員さんに鼻で笑われなかったらうれしいなくらいで生きていけるようになればなんとかなると思います。