地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

自撮りを連続30日間続けた感想

どうも。
インターネットの海から、自撮りを続けると自己肯定感が上がるという情報を見た。気になる人はそれっぽいワードで検索してみてほしい。すぐに出てくると思う。
たしかに自分の顔を連日記録・保存するのは自分(というよりは自分の顔か?)が嫌いな人間にはなかなかできなさそうな芸当である。ということで、一日に一度、それも五秒もかけずに自撮りしているという羞恥心に耐えるだけで自己肯定感が上がるなら安いもんじゃないかと、試しに自宅でやってみることにした。
写真は無加工でいくことにした。メガネの有無はその日の気分による。本当は加工までした方がいいのだろうが、加工する気力は起きなかった。別にこれらをプロフィール画像にするわけじゃないし、誰にも見せないし、加工するためのアプリを探して入れるのもめんどくさい。そういえば最近あまり加工アプリの名前を聞かなくなったが、周囲での自撮りブームが去ったのだろうか。
初期の頃はだいぶきつかった。完全に苦行。何をやっているんだろうと何度も思った。カメラロールは自分の顔で埋まり、もはやひとさまには見せられない絵面になっている。ツイートしようとすると自分の顔とご対面することになる。自撮りをするときの表情も終わっている。しかし、続いた。よく続いたな。何がモチベだったんだ。
次に書く結論の次に、なぜ続けられたかを書く。まず結論だ。みなさん気になるのはここだろう。
結論からいうと、自分の顔が特段好ましいと感じるようにはならなかったが、写真に映る自分(の顔)が自分から切り離された感覚を得た。
今までは自分の顔が映った写真を見ると「うわあ、嫌だな、見たくないな」と反射的に嫌な気分になっていたのが消えて、ただ、「顔だ」というふうになった。
これはかなり感覚的な話だ。何を言っているかわからないひとも多いかもしれない。
「嫌なもの」から「ただの顔」に変わったというか。見た瞬間に何かしらの感情が湧くことがなくなったというか。自分の顔に対してちょっと他人行儀になったというか。「自分の顔」であることは脇に置いて、「顔の造形」に着目できるようになってきたというか。そんな感じである。
「自分の顔」そのものに対しては今までの拒否感がなくなったので、たしかに自己肯定感は少しは上がったと言ってよいのかもしれない。自己肯定感というよりは自分(の顔)のことを受け入れられるようになったという方がしっくりくるが。
現時点ですでに「自分の顔の造形」に対して冷静に注目できるひとが、同じように自撮りを続けたところでこんなふうに変化を感じられるかはわからない。実際わたしはこの変化を感じた後は特に何も変わらなかった。ちなみにわたしは開始して一週間ほどで上記の変化を感じた。つまり残りの二十三日間はほぼ惰性と気合いのみで続けていたわけである。
なぜ自撮りがこんなに続いたのかというと、おそらくTwitterのおかげである。Twitter公式クライアントではツイート画面で最新のカメラロールが一部表示される。文字の入力を始めれば画像は消えるが、一瞬にせよ自分の自撮りが目に入る。そして「うわあ自分の顔が並んでいる、最悪だ」となる。そうして、そういえば今日はまだ撮ってないや、と思い出していた。期せずしてツイートするという行為がリマインダーの役割を果たしたというわけだ。
とはいえこれはおそらく最初の数日間の話である。途中からツイート画面に自分の顔面が出てくることに慣れてしまったので、結局気合いである。たぶん。
では、以下はメモである。上記の結論に至るまでの大雑把な過程が書いてある。クソ長いので「続きを読む」にしてみる。さっき見つけた機能だ。
興味もったら自撮りチャレンジしてみてください。自己肯定感が上がる感覚を得られるかはわからないけど、もし自分の顔そのものに嫌悪感があるならば少しはマシになるかもしれない。
では。


1日目

思い立った日なので当然とても元気。いい顔。この日の自撮りが一番輝いてるまである。

2日目〜5日目くらい
すでにやる気がなくなっている。自撮りの顔がそれを表している。笑顔になれば心も楽しくなる理論により笑顔で映ろうとはしているが、感情が笑顔ではないため、歪んだ顔の自撮りが続く。1日目と同じアングルで撮ればあの日の輝きを取り戻せるかと試しているっぽい日もあるが、足元にもおよばない。目が死んでいる。よくここでやめずに続けたなと思う。

6日目くらい〜7日目くらい
ここあたりで意識に変化が訪れる。
自撮りに限らず、自分の顔(マスクなし)が映っている写真を見ると「うわあ、嫌だな、見たくないな」と反射的に感じていたのがなくなってきた。斜め上から撮ると輪郭が変わりすぎることに気がついてウケた。これが輪郭詐欺ってやつか。

8日目くらい〜
顔にしっかり光が当たった方がきれいに見えるらしいだとか、横の髪の毛を耳にかけようかなとか、若干見栄えを意識するようになってきた。何回か撮り直したりするようにまでなってきた。撮り直してもそんなに変わらんのだが。
最初の方は自撮りをノルマとしか捉えておらず、とりあえず撮っとけという感じで撮っていたのを考えると、かなり変わったと感じる。当たり前のように逆光で自撮りをして顔は真っ暗だったのが、ちゃんと顔に光が当たるようにわざわざ場所や向きを調節するようになってきた。
ちょうど8日目で髪を切るために美容室に行く予定があったので、せっかくだし切る前に自撮りしとくかと出かける直前に自撮りをした。マスクをつけているからまるで別人のようである。しかもいい具合に太陽光が入っているせいで皮膚の色が飛んでいる。いまだに誰だこれとなる。マスクはすごいなと思った。
あと、今まで裸眼で撮った時はいつも目が小さく、なぜ近眼用メガネをかけている時よりも目が小さいんだと驚いていたが、どうも裸眼の時は無意識に目を細めているらしいことがここでわかった。美容室に行くときは恐れからコンタクトをする癖があるのだが、この日の自撮りは目がでかかった。視力は大事なのだということを思い知った。
急に詳しくなったな。そう、この日にこのメモを書き始めたのである。わかりやすいだろう。

12日目
朝起きて手洗いに行ったら自動的に鏡に向かうことになる家にいるのだが、ここで寝癖がちょっとおもしろかったので、「自撮りしよう」と思った。
すごいことだ。寝癖がすごい日の朝なんて「うわあ」以外の感想など何もなかったはずなのに、唐突に「自撮りしよう」などというちょっと前向きっぽい感情がわいてきた。でもいざスマホを構えたらそんなにおもしろくなかったから、軽く手櫛で整えてから撮った。

13日目
ところでわたしはあまり自分の声が好きではない。とはいえ前よりはマシになった。かわいくない自分の声が嫌で仕方なかった。声は低い。高い声を出そうとするといかにも作って無理してる感が出るし何よりキモかった。まぢむり。最近は開き直ったらしく、特になんとも思わなくなってきた。そもそもその時の調子で声なんていくらでも変わるしな。
もしかして、声を録音して聞き続けていたら、そのうち自分の声に対しても他人事のように感じるようになる日がくるのだろうか。そう考え始めた。
そしてわたしはイケボの出し方を検索しだした。何をやっているんだって? いや、かわいい声なんて飽和してんじゃん。イケボも飽和してんじゃん。もうおれたちが手を出すとしたら男で女声出すとか女で男声出すとかになるじゃん。ほんまか? いや、わからん。
なお練習を続ける気はまったく起こらなかったので、今日だけのやる気にはなりそうだが、それはそうと録音に手を出すのは悪くない気がしてきた。
ちなみに今日は真正面から自撮りした。謎に目をかっ開いていたので目がでかい。ちょっと怖い。いや、そんなに目はでかい方ではないので実際はそんなでかくないんだろうけど。

14日目〜29日目
飽きてきたのかちょくちょく忘れるし表情も無表情になってきた。わざわざ笑うのがめんどくさい。もはやタスクである。もう顔が「今日まだ撮ってねえな、撮るか……」くらいの雑さになっている。これがマンネリってやつか。
そろそろピースサインくらい決めるべきなのかもしれない。顎にピースすると小顔効果があるんだっけ? 知らねー、ピースを顔にあてて輪郭が隠れるほど顔が細くねえんだわ。
それとも加工に手を出すか? しかし加工に手を出すと仕上がりに凝りだしそうでなんか嫌だ。たぶん凝る。どれだけ目をデカくできるのかとか、顎をとんがらせられるのかとか、ツルツルの肌にできるのかとか、絶対やる。連続自撮りチャレンジが加工アプリの限界を探る別ゲーになってしまう。
ただ、自撮りと自分の顔への苦手意識がほぼ消えたのは確かである。「オッ、今日の髪の毛は調子がいいな、自撮りしとくか」というような思考が自然と出てくるようになってきた。すごい。
あと、カメラロールを見返しても特になんとも思わなくなった。自分の顔が並んでいるなあというくらいの感想しかない。
試しに録音してみた。聞いてみたらキツすぎてすぐに消してしまった。n日連続で録音をするというのもやってみる価値がある気がしてきた。

30日目
記念すべき30日目だ。この日がきたらひと区切りとしてブログを投稿しようと決めていた。とか言ってここの部分を書き始めた今は31日目である。
こうやって見返すと14日目以降はひたすらマンネリとの闘いだったようだ。とりあえず光源に顔を向けてパシャリとするだけである。何回か照明を消して布団に入ってから「今日自撮りしてないじゃん」と気がつき急遽起きて自撮りをした日もあった。アホなのか?
もはや自分の顔に対して特に何か大きな感情はわき起こらない。別に自分の顔に対して好感度が上がったわけではない。評価も上がらない。ただ、自分の顔写真が並んでいてもなんとも思わなくなった。反射的な拒否反応が出なくなった。
なので、好感度が上がったというよりは、受け入れることができたという方がしっくりくる。
ちなみに録音チャレンジだが、自撮りほど続けるのは簡単ではないと思われる。まずセリフが思いつかないし、自撮りと比べてスピード感がなさすぎる。自撮りは一瞬で撮れるし一瞬で確認できるが、録音はそうもいかない。しゃべった分だけ確認する時間もかかる。自撮りチャレンジは実はハードルが低い方なのかもしれない。

おわり。