地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

リアル書店に入るのが怖くなくなってきた

リアル書店やら図書館やら、個人の家にはまず置けないだろうというほど大量の本がこれまた大量の本棚に敷き詰められていて、その威圧感しかない本棚が人がすれ違える程度の間隔を開けてそこそこ広い空間に配置されているあの環境、あれがどうも苦手だった。そこに行くと自分がいかに全然本を読めていないか、読むのが遅いか、そういう無力感に襲われてつらい気分になるものだった。あれもこれも読みたいのに読めていない自分をなかば強制的に自覚させられて苦しかった。あと、大量の情報に晒されて混乱する。これについては書店に限らずドラッグストアとか服屋とかでも同じなのだが。

だから、本は通販で買っていた。通販はその商品ページの扱う本だけがでかでかと表示されて、それしか目に入らない。もちろん、これを買った人はこれも買っていますよというようなおすすめ一覧に他の本も出てくるわけだが、メインの商品よりは小さく表示されている。それがどうもありがたかった。まあ膨れあがったほしいものリストを眺めると結局まるでリアル書店にいるかのように苦しみだすんですけど。インターネットになっても変わらないじゃないか! なんてことだ!

……のだが、最近はこの前書いた大海原のアレを受け入れるようになったからか、少なくとも書店については変化が訪れた。

大海原のアレは要するに自分の気分や興味の波にほぼ全幅の信頼を置くことにした、という話だ。なんであれ自分が浮かんでいる潮の流れがそっちに向かっているのだから、じゃあそのまま従おうという、なんとも無気力で偶然に頼りすぎな生き方を選んだわけだ。

で、じゃあ上のように考えるようになったとして、読書島に漂流したときに何をするようになるか。そのとき読みたくなった本を買うなり借りるなりして、読むのみである。

読みたい本が決まっていれば迷わず通販サイトを利用するのだが、なにも決まっていないけどあたらしく本が読みたいというときもある。そういうときは、通販サイトよりもリアル書店の方がなんだかいい出会いがあるような気がしてきた。これは単純に今の気分で、そのうちまた通販サイトしか使わない日々がくるかもしれないんですけど。

というわけで、いざ、やんわりとした恐怖の対象であるところのリアル書店におそらく数年ぶりにひとりで足を踏み入れることにした。

ただ、あくまで本を買うと決めた日にしか入らない。他の人と一緒にいるときは買わない日でも入ることはあるが、ひとりのときは買う日にしか入らない。そして、一冊だけ買う。

ポイント還元とか考えると買う本だけ決めておいて後で通販サイトで買った方が得のような気がしているのだが、その本に出会わせてくれたのは紛れもなくそのリアル書店なので、なんとなくお礼としてその場で買うことにしている。

知的好奇心なんてとっくになくなっている。気になること、知りたい意欲なんてもうもっていない。タイトル、本の見た目、著者、目次なんかを見て、「あっ、これだ」となるものが見つかるまでひたすら書店をふらふら彷徨う。ただの亡霊である。で、一冊見つけたら、脇目も振らずにレジに向かい、会計が終わった瞬間そそくさと書店から離れる。

途中でほぼ必ず「気になるけど、今ではないな」という本に遭遇する。そういうのはほしいものリストに突っ込んでおく。そして存在を忘れる。

効率は悪いと思う。入店してすぐ見つけられることはまずなくて、何冊も手に取っては首をひねり、見つからないのかもなあと諦めかけてからやっと見つかってばかりいる。測ったことはないけどたぶん1時間はかかっている。ジャンルすら事前に決めないまま歩き回るのだから当然と言える。

しかし見つけられたときの感動はちょっとクセになりそうなものがある。「あっ、これだ」としか言いようがないのだが、なんか、なぞにスッキリするのだ。ゆるやかだった感情の波の振れ幅がちょっとだけ大きくなるというか。「ピンとくる」と言えばいいのだろうか。

こういう、自分が買う気になる本を手に取るまで行き当たりばったりに本を探していく場としてリアル書店を使うようになった。こうしてリアル書店は怖くなくなった。よかったね。

余談だが、この前入った書店で人生を変えた本みたいなアンケートの結果を並べたエリアがあったのだが、私に気軽に本を読めるようになったきっかけをくれた「本を読めなくなった人のための読書論/若松英輔」(亜紀書房)があった。あと、読んではいないけどおそらく似た雰囲気の内容であろう「本は読めないものだから心配するな/管啓次郎」(ちくま文庫)もあった。本を読みたい気持ちはあるけど読める自信がなくて、なんだかまわりに置いていかれているような心地がして、そんな自分が嫌いになっているひとがきっとたくさんいるのだろうなと思った。

最近の趣味は何? というような質問に「最近は本を読んでいます」と言うと、高確率で「へえ、(自分は)本は全然読んでないなあ」という、本を読んでいないことを恥ずかしがっているようなぼやきが返ってくる。読む気が起こらないなら読まなくていいじゃないか、と思ってしまうのだが、それは今だからこう言えるのであって。私も数年前だったらきっと同じ返答をしていた。

これがたとえば「アニメ見てます」とか「昼寝しています」とか「カフェ巡りしてます」とかだったらこんな反応は来ないのだろうか。逆に、「晴れていればジョギングをして、雨の日は家で筋トレしてます」だったら上と似たようなぼやきが返ってきたりするのだろうか。筋トレについては私は「最近やってないなあ」と返してしまいそうな気がする。興味の問題だろうか。いや、興味ではなく,体を動かした方が健康っぽい気がするからだろうな。

読書というのも、なんとなく好印象っぽい趣味なんだろう。たしかにどこか知的っぽいイメージはあると思う。もしくは、筋トレと同じように、取り組むべきであるというふうな、強迫観念じみたものがわりに広く共有されているのかもしれない。

私なんかはひとつのことを長く続けられない(どうしても中断が入る)ので、たとえば数年続いている漫画を新刊が出るたびに買って読んでいるとか言われるとスゲーッ!!となってしまうのだが。いや実際すごすぎないか? こちとら新刊を待っている間に興味がなくなってそのまま放置している漫画がいくつかあるんだが?

もちろん今は本を読む気が起きているから読んでいるだけで、きっとそのうちまた読まなくなる。そしてふとした瞬間にまた読み始める。ただ、たぶん、いつか中断したとしても、次からはリアル書店はもう怖くないような気がする。

本も本棚も多すぎてまちがいなく疲れてげっそりさせられるのだが、しかし、リアル書店は、たぶん通販サイトのおすすめ一覧には出てこなかった(と思う、なぜならサイトで見かけたことのない本ばかり手に取るので)出会いをくれるすてきな場所だ。

余談第二弾。 今で何度か、反応からしておそらく本人は覚えていないのだけど、過去に触れた情報に連想や想起するものが影響を受けているのを見たので、意識せずとも情報に触れるだけでなにがしか影響は受けるものだと私は思っている。

なぜ相手が過去に触れた情報であるということを私が知っているか? 過去に私が直々に教えたことだからだ。

たとえば私の苦手な食べものとか。どこでごはんを食べようかとなったときに、この系統が苦手だからこれ以外、と言って、へえ〜そうなんだと返ってくる。私の方は前も教えた記憶があるので、ああ覚えてないのだろうなと思う。だが、前回は苦手な食べ物の具体例Aを挙げたときにはっきりと「え!?」と驚いていたものについて、今回は向こうが自発的に「じゃあたとえばAとかもダメ?」と言ってくることがあるのだ。それ前回私が挙げたときにあなたが理解に苦しんでいた具体例〜〜!!!!

こういうのに遭遇するたびにびっくりしてしまうし、忘れていても片隅に残っているものなのだなとそのたびに感心する。

そもそも英単語帳ひとつですら丸暗記できたためしがないのに、読んだ本の内容はすべて把握し記憶しようだなんて無茶すぎる。そんな無茶はしなくていいのである。英単語帳を三周して全部覚えられたらそれは記憶の天才です、とかつて塾の先生に言われたことがある。当時はあの発言にだいぶ助けられた覚えがある。どうしても覚えたかったら何周もするしかないし、もしそれが三周で済むようなことがあったらそれはあなたがめちゃめちゃに記憶力がいいということだ。

だから、まあ、本は読んだ端から忘れていっていいと思う、ということだ。たぶんなにがしかの影響はどこか知らないところに残っているし、知らないうちに自分のものになっている。

それに、読んでいる間「たのし〜〜!!」と感じることができていたら、もう十分なんじゃないか。たのしくなくて耐えられなくなったらとっとと諦めて他の本に移るだけだ。趣味の時間なんだろう。たのしい気分でいさせてくれ。

クオリアの哲学と知識論証―メアリーが知ったこと/山口尚」(春秋社)とか、もはや難しいけどたのしかったという感想しか残ってないけど、でも私は大満足しているし、メアリーの部屋という思考実験が気になるひとにはぜひおすすめしたい本だと思っている。

この本、最終章以外は今までの議論のまとめで、最終章だけは今までのまとめではなく著者の考えが書かれているのだが、それまでわかりやすくて比較的すいすい読めたのに最終章だけは信じられないくらい難しくて、苦しみながら読んだ記憶があって、自分の考えを自力でさらにまとめて噛み砕いて紹介するのは他のひとの考えよりもたいへんなんだな……と思った覚えがある。おもしろいですよ、中身全然覚えてないけど。

もちろんこの記事だって、読んだ端から忘れていく勢いで読んでもらえればいい。序盤に私が何を書いていたか覚えていますか? 覚えてない? それでいいんですよ。ぶっちゃけ私も今この部分を書いていてあんまり思い出せない。自分で書いた記事なのに復習が必要とは……まあ、とにかく、ここまで読んでくれてありがとうございます。