地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

毎日ブログを書くのは大変だなあ

31/31。

1日休んだので正確には走りきれていないが、もう一度31やれと言われたら間違いなくキレるのでこれで終わらせたい。

わかったのはモチベのない行為の習慣化の試みはおそろしいほどストレスであるということ。「書かなくてはいけない」という強制。誰も強制してきているわけではないのに強制されていると感じるのは、普段の生活にも通じるものがあるかもしれない。「本を読まなくてはいけない」「運動しなくてはいけない」「ごはんを食べなくてはいけない」等々。

読書についてはかなり改善された。通勤時間が伸びた。これは大きかった。家でゴロゴロしているだけの時間を電車の中で過ごすようになってからというもの、突然捗るようになった。ひとつの原因として、わたしがモバイルバッテリーを持ち歩かないということもあるだろう。外でわたしは基本的に充電するすべを持たない。そうすると、むやみやたらとスマホを使うことはリスキーだ。では他に何をするか?ぼーっとするのも手だ。疲れているときはよくやっている。あとは本を読むこと。正確にはKindleを使っているのでこちらも充電が必要なのだが、Kindleの電池の持ち具合はスマホの比ではない。スマホはなんて燃費が悪いんだ、などと思いかねないくらいちがう。もちろんやっている処理がちがいすきるので当たり前なのだが。

書こうと思ったときに書くのは当然楽しい。しかし書く気の起きない日だってある。日記として認識することさえできればいいのだろうが、そもそも日記を書く習慣がない。ツイッターで満足する。

ただ、ブログを書くのはひとつの瞑想のようで、そこは発見だったなと思う。いくらつらつら書きつらねていこうとそこに文字数制限はない。ツイッターは書いていくうちに「あ、制限に引っかかった、減らさないと」となることがよくあるが、それがない。ただただ思ったことを書いていける。これは存外心地よかった。要するに洗練させる気すらない思考の垂れ流しで、こんなのをネットの海に放流するのか、という代物だが、まあそれでもいい。数年後のわたしは黒歴史だと顔をうずめるだろう。10年ほど前、あんなに楽しかったサイト作りも今ではただの黒歴史なのだし。数年前の高校から大学入りたてのツイッター黒歴史だ。見たくもない。黒歴史が量産されていく。

ぼーっとしたいときにこうやって書いていくのはいいかもしれない。それは発見だった。これはひとつの瞑想として扱っていいのではないか。なにも静かにじっとすることだけが瞑想ではあるまい。真剣に集中しきったとき、まわりが見えないほど現在の行為に集中したとき、それも瞑想と呼んでいいのではないか。(とわたしは思っているのだけど、これは瞑想ガチ勢から怒られるかもしれない。)

これからもちょくちょく書いていきたい。いい機会だった。でももう毎日更新は嫌だなあ。