地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

コンビニは割引をしないから選択肢が常に大量に用意され、結果疲弊する

25/31

会社に持っていく弁当について。

 

会社の近くにはコンビニもあるわけだし、無理に弁当を持っていく必要はない。

 

しかし、コンビニ飯は3日で飽きた。これは本当だ。最初はもうこのままコンビニ飯を食べて過ごしていくと予定していたが、おにぎりを食べたり弁当を食べたりした結果、飽きた。なんだかおいしく感じられない。ちょうど入社したばかりで疲れていただけなのかもしれないが、これは自分で弁当を持っていったほうがマシそうだと思った。

 

弁当といってもスーパーで買ったおかずを詰めているだけに過ぎない。作る元気は現在のところあまりない。まあ、節約という観点で見れば、完全自炊よりは高く完全コンビニ食よりは安いといったところか。そんなに節約に興味はないけど。

 

もちろん弁当はそれなりのコストがかかる。自炊しないにしてもおかずを詰める必要があるし、洗い物をする必要も出てくる。しかしこれについては今のところクリアしている。会社に洗い物ができるところがあるので、会社で洗えばいい。洗わなくても、どうせ家で水筒を洗うのでついでに洗えばいい。というわけでそんなにストレスではない。

 

なぜコンビニ飯にはすぐ飽きてしまったか。なぜだろう。実際、そんなにまずいわけではないはずだ。吐き出すことはない。おそらくは買うという行為に疲れたのではないか。常に同じ弁当を買うと決めることさえできればおそらく続けられるはずだ。自分で作る弁当については簡単だ。安売りしている惣菜を見つければいい。しかしコンビニ弁当に安売りなどない。選択肢が大量に出てくる。これは非常に疲れる。

 

おそらく選択肢が多いのがいけないのだろう。何にするか迷うのは楽しささえ感じさせるが、その後に残るのは、少なくともわたしに残るのは疲労感だ。ああ楽しかった!とはならない。今は楽だ。米を炊いて、チキンハンバーグを買って、適当に安売りしている惣菜を買うか、やる気が起きたら煮物をつくってそれを入れる。それだけだ。何も考えなくていい。選択をするという行為は楽しいひとときを提供してくれるものの、疲弊もする。わたしにはまだ大量の選択肢を前に楽しめるだけの余裕がないというだけの話なのかもしれない。しかしまあ、一応節約という大義名分も手に入れられるし、いいか。