地底電波塔

気が向いたときに勢いにまかせて何かを書き連ねるブログ

ツイッターを見てしまうという罪悪感を消したい

11/31

特に何も思いつかない。

最近は家に帰って実況プレイを見ながらごはんを食べ、シャワーを浴び、ツイッターを眺めるかflutterをいじるかブログを書くか本を読むかしている。

この中で消したいものといえばツイッターだ。しかしツイッターを消すことはできない。後悔する予感しかしない。思ったこと感じたことを見境なく手軽に発信できるっていうのは魅力的だ。結局、誰かに見てもらいたいんだ。そうだろう。

スマホを置くこと自体は実は簡単なのだと最近気づいた。機内モードにして、そこらへんに放って置いたらいい。何の通知も来ないスマホはもはや持ち運びやすい記録ツールにしか見えない。家の中にいるときは机の前に張り付いてるぐらいしかしていないので、持ち運びやすさなんていらない。というわけでスマホを置くことは意外に簡単に達成できる。

しかしツイッターはパソコンでもできる。実際のところスマホを置くことはあまり解決には至っていないわけだ。わたしはツイッターをむやみやたらと見ることをやめたい。

実はいまだに解決策がわかっていない。ただ、そのときの気分によっては一切ツイッターを見ずにコードをいじるなり本を読むなりしだすこともあるから、その気分をうまく調整できれば満足のいく生活が送れるのだろう。しかし気分を調整できるなんてどうやるのだろう。気分を調整するよりも習慣付けを狙ったほうがまだ現実的な気もする。

ただ、これはあくまで期待なのだが、来週からは平日の昼にコードをいじったり見たりするようになる予定だ。そうすると、平日の帰宅後にコードをいじる元気が果たしてあるのか。そして、予定だが通勤時間にKindleで読書をするつもりだ。実際電車がどれほどストレスになるかはわからないのだが、まあなんとかなるだろうと楽観視している。とすると、帰宅するまでには2つは既にクリアできているわけで、あとは実況動画を見てもツイッターを見ても、「なぜあのとき…」とはならないのではないか。わたしはそうなることを期待している。そして趣味のアプリ制作などは休日にやればいい。と、思う。

今のは夢物語だ。そんなにうまくいくとは思っていない。読書をする気が起きないこともあるだろう。そもそも電車に耐えられない可能性もある。通勤電車に乗ったことは大学受験の1回しかない。あれは東京の地下鉄だったが、ひどいものだった。あれよりマシなら耐えられると思う。いや、ひどかったといっても、あれはわたしが満員電車に慣れていないせいでリュックを背中に背負ったままだったのが諸悪の根源だったわけだが。ちなみに物が盗まれることはなかったが、誰かの肘置きにはされた。重かった。

まあしかしうまくすれば家に帰ったら何を遊んでてもいいという状況を作れるかもしれないのだ。ツイッターを見ても動画を見ても罪悪感が湧かないような。塾に通っていた頃のように。わたしはそう期待している。